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 寄せ書き 
佐々木清隆「流れ星の声が聞こえる」

ライター
「悪魔は出てきましたか」
 愉快そうな顔でホシ氏に問い返され、
「いやあ、出て来ませんでした」
 グラスを傾けつつ、過去の戯れ事を話していた。
 まだ子供のシッポが残っていた頃、悪魔を呼び出そうと試みたことがある。 星新一作品の中に呼び出す手法が記されており、それを真似たのだ。
 2枚の鏡を向かい合わせにし、双方に無限の像を写し出す。 深夜、連なる鏡の彼方から、鼠のような悪魔が走ってくる。 午前0時、悪魔はヒラリと鏡を抜け、もう一方の鏡へと跳び移る。
 捕獲者はその瞬間を待ち構え、宙を飛翔する悪魔のシッポを開かれた聖書で挟み、捕まえるのだ。
 それを学生の僕は試みた。 であるが、当然ながら姿を現すことはなかった。
「出て来ても、困りますけどね」
 実際、悪魔を捕らえても飼えるわけもない。 ワシントン条約には違反しないだろうが、外来生物扱いされるのがオチだ。 ブルーギルやブラックバスに混ぜ、一般廃棄物として処理する他はない。 だが紛れもなくシッペ返しを食らう。 なにせ奴は悪魔なのだ。 ただで済むはずがない。
「あの悪魔を捕まえる方法は、何か元があるのですか、それともゼロから考えたのですか」
 10代で抱いた疑問を投げてみた。
「全部、僕が考えました」
 なるほど、あるいは原点が中世ヨーロッパに在るのではと思っていたのだが、時を越えて事実が判明した。 すべては完全なオリジナル。 あの悪魔の捕獲法は秀逸であった。
 そんな悪魔という存在を、こんなにも身近にしたのも星新一の多大なる功績のひとつだろう。


 ホシシンイチという名前を知ったのは小学5年生の時だった。 手塚治虫の『W3 ワンダースリー』という作品に、星真一という登場人物が出て来たのである。 それが実在するSF作家の名前をもじったものという話は、すこしして知ることになる。 ただ、身近に件の作家の本はなく、それ以上ホシシンイチに関する知識を手に入れることは出来なかった。
 作品に触れるのは、それから7年後のことである。 衝撃的だった。 ショートショートなる形体の小説にのめり込むのに時は用さず、次から次へと本に手を出すことになる。 星中毒だ。
 早川書房版の裏表紙には著者近影があり、そこで漫画の登場人物が、写真で見る作家に入れ変わったのである。


 それからまた7年後のこと、星新一は2次元から3次元へと変わる。 星中毒患者は読者の側から作者の領域へと足を踏み入れ、原稿用紙の升目に字を埋め込んだ。
 その『三時五分前』なる作品が星新一に評価され、拝顔の栄に浴することになる。 寒さの残る3月、講談社の応接室で動くホシシンイチを双眼で捉えることになった。
 手塚治虫の漫画がある日、写真となり、それがついには3Dとなって、動き出したのである。
 お坊っちゃんというのは、こういう人のことを言うのか。 永六輔がパーティーで出遇った星新一の印象を、そんな風に綴っていたことがある。
 なるほど、それは言い得て妙だった。 制服にランドセルを背負った私立学校の少年が、ドラえもんのひみつ道具、ビッグライトを浴びて、180センチになってしまったという感じ。 邪気のないコートを纏った雰囲気が漂っている。 ただし声はかなり大人であった。
「しかし、初めて来たな、講談社に」
 それが最初に聞いた星新一の言葉であった。 通常、原稿は編集者が自宅に取りに来るわけであるから、作家が出版社に出向く必要はない。 ではあるが、まさか、初めてとは。
 その声は口中で反響しながら外部に放出される。 洞窟に音が響く人間版といったところか。 声の質を内に締まる収斂型と、外に弛む膨張型に分けるとすれば、明らかに後者だ。 アルコールが体内に入り、声のボリュームが大きくなると、そこに擦れる音が立ってくる。
 似ているところでは、その昔、徹子の部屋等テレビで幾度か耳にしたことのある、作家北杜夫に近いものがある。 品の良いユーモアを漂わせているところも、両者は相似している。 ただ、北杜夫は星新一より声音が籠っており、それが擦れ状態になっている感じだ。
 本当にそういう体験をしたのか、その昔、酔っ払った北杜夫と星新一が銀座のバーでバッタリ出遇うシーンを、タモリが深夜ラジオで披露したことがある。
「あ、ホシシャン、おひシャシシャシシャス」
「これはこれは、キタシャン、おシャンシャ、シャシャシャ」
 どちらも酔っぱらい、言語不明瞭。 九割方、サ行擦過音による会話で、第三者には何を言っているか判らない。 だが、当事者同士は判り合っている。
 タモリの表現は双方の口調を知る者にとって、えらく面白かった。 まさに少数の者にしか判らない、達者がして見せた、一級の技芸。 言語を抽象化して披露した、大胆にして巧緻なる物真似キュビズムであった。
 あれをもう一度聞きたいものだ。


 初対面から3ヶ月後ぐらいだったか、銀座で会食した際、
「大西赤人から手紙が来ていて、貴方の作品は世界の10編に入ると書いてありましたな」
 他作家からの感想を聞かされた。
 知己のない書き手から過分の評価を戴くことは有難いことだ。 しかも星新一の口から直接伝えられるのは、重ねて喜ばしいことである。
「僕の選考は間違っていなかったということですな」
 こうして交流できていることが奇妙な感じだった。 僕が星新一を知っていることが不思議なのではない。 星新一が僕の顔と名前を認識していることが不思議なのだ。
 すでにして歴史上の人物となっている作家に知られていることの驚きである。
 そんな歴史上の人物に都合十数回、電話をしている。 只の一度も不在だったことはない。 しかも印象深いのはワンコールで受話器を取ることだ。 掛けた方がビックリするくらい、リンリンのリの音が鳴った瞬間、
「星ですが」
 受話器の向こうから、声が聞こえてくる。
 それはしかるべき時間帯には常に机に向かっているという証で、作家とは斯くあるべしという姿勢を見せられた気がする。
 緊張しながら耳にした、
「星ですが」
 その声が懐かしい。


 星新一は常々ぼやいていた。
「みんな、長編になっちゃった。 短編を書かなくなった。 それも仕方ないんで、僕が作家になった頃は、月30枚書けば食っていけた。 今はそうはいかない」
 長編はマラソンである。 短編、取り分けショートショートは目一杯乳酸の溜まる400m走に近い。 それをたった一人で繰り返す。 100回以上繰り返し、ようやくマラソンと同じ距離になる。 効率が悪い上において、評価がされにくい。 出版社も売りにくい。 かくして、それは衰退していく。
 そうはあっても僕達は、心構えもなく走り出す。 図らずも星新一からタスキを手渡されたのだから。
 400m走を繰り返しながら、しかしその険しさにバタバタと道端に倒れ、ひたすら喘ぐ者、多数。 ショートショートの箱根はきつい。 天下の剣で土の上に倒れ込む。
 星新一は誰よりも多く、その苦しみを味わってきた。 短い物語を愛し、その行く末を案じ、心より活性化を願っていた。 故にメガホンを持ち、道端で励ましの声を高くあげていたのである。
 だが、走れなくなった僕達は、大地に仰向けになったまま、高い空を見ているばかり。
 その言葉は今も耳に残っている。
「短編を書いて欲しいですなあ」
 悪魔の囁きが聞こえてくる。


2023年4月

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