小学生の頃、歳の離れた姉の部屋に度々忍び込んで、本棚にあるマンガを読んでいた。
同じマンガを繰り返し読むのに飽き、仕方なくマンガの隣にあった文庫本を手に取った中にあった一冊が、『きまぐれロボット』だった。
星新一の名前も知らず、前提知識なしに読み始めた『きまぐれロボット』は、衝撃的に面白かった。
こんな面白いものが世の中にはあるのかと思った。
それまで私はドラマ「世にも奇妙な物語」や図書室にある怪談本が好きだったのだが、そこに求めていたエッセンスが『きまぐれロボット』には詰まっていると感じた。
以降、親と一緒に本屋に行くたび星新一の文庫本を買ってもらって少しずつ集め出し、小学生の間にショートショート作品の大半は読んだはずだ。
高校生の時、夏休みの宿題として小説を提出する必要があった。
何を書けばいいのか全くピンとこず無理やり捻り出したのが、
どんな壁でもすり抜ける薬を発明した博士が大喜びでそれを飲んだ途端に消えてしまう。
薬の効果のせいで博士は地面をもすり抜け、引力に導かれるまま地球の中心へ向かい、マントルの熱で燃え尽きて死んでしまった。
そんな話だった。
執筆している段階から「これ完全に星新一のパクリじゃん」と思っていた。
作品が多すぎていまだ未確認だが、話の筋までそのまま盗用している可能性もある。
教師も同じことを感じたのか、特に何の感想も与えられないまま私の処女作は闇へと消えた。
その頃には星新一以外にもそれなりにいろんな文学作品を読んでいた。
しかし大抵は「よくわからないけど何だか面白かった気もする」程度の曖昧な感想しか抱けなかった。
要するに血肉と化していない感じがあった。
手探りでフィクションの物語を作ろうとする場合、自分にとって確かな面白さを信じられる素材はいまだに星新一しかないんだな、とその時思った。
そんな私も、今では創作にかかわる者の端くれとして仕事をさせてもらうようになった。
私が書く歌詞は他のミュージシャンのものとは良くも悪くも違っているとよく言われる。
さすがに高校時代のようなただの模倣からは脱せているつもりだが、バンドの歌詞を考えるときに星作品を読み返し、その手触りを取り入れさせてもらうこともある。
歌詞や文章から、自分に酔ったこねくり回した文学的表現を取り除きたいと思う感覚も、たぶん星新一の影響だ。
少年時代に星作品を読みまくったことで自分の人生が良くなったのか悪くなったのかはわからない。
それでも今後もし自分に子供ができたとしたら、家の本棚にさりげなく『きまぐれロボット』を潜ませておくことは決めている。
2025年6月
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